岡嶋かな多さんは、「オリコン1位100回超え」のヒットメーカーです。
37歳という年齢で、日本国内外で多数の有名アーティストに楽曲提供をしています。
天才音楽プロデューサーと言われる彼女にも下積み時代があったようです。
どんなことをしていたの?見ていきましょう。
岡嶋かな多のwiki経歴・プロフィール
名前:岡嶋かな多
生年月日:1984年7月7日生まれ
出身地:青森県
家族:夫・息子一人
岡嶋かな多さんは、青森県の出身で、アメリカで3歳から8歳までを過ごされています。
日本に帰ってきて、その後は日本の中学に進学。
アメリカ帰りで、初めはなかなか日本の学校に馴染めなかったそうです。
中学生の友達とカラオケに行って歌に目覚め、中学3年生の時に歌で生きていくと決意されています。
当時、茨城に家族で住んでいましたが、高校には進学せず、東京の表参道の音楽のスクールに進みます。
音楽学校での授業は、週に4回、1日2時間〜4時間。
自宅から2時間かけて通い、空いた時間にはアルバイトをされていました。
クラスメートは20代で、同世代の友達がいないことがとても寂しかったそうです。
それでも学校では真面目に音楽に取り組みます。
学校のコンテストで賞を受賞し、中国との交流大使として中国で歌ったり、プロのバンドのライブの前座やバックコーラスの仕事もされました。
学校を卒業してからは、音楽の勉強を続けながらバンド活動を始め、ライブや弾き語りで歌う生活をされます。
ライブ活動でお金がなくて、食費も節約する生活をされていたようです。
天才は初めから天才作曲家なのかと思っていたら、やはり売れないバンド時代などがあるのですね!
たくさんもらったハンバーガーを冷凍して食べたりしていたようです。
すごく意外でした。
岡嶋かな多の下積み・アルバイト時代
岡嶋かな多さんは、20歳でソロ活動を始められます。
この頃、学校時代の知り合いの作曲家から、「仮歌」の仕事をするようになります。
「仮歌」とは、作曲家が作った曲に、音だけではわかりにくいので、歌手が歌をつけたり、仮の詞をつけたりするそうです。
岡嶋かな多さんは、その歌や詞をつけるアルバイトを、一曲2000円でで受けていました。
その仮歌や、仮詞が気に入られ、だんだん仕事が増えるようになっていき、値段も5000円、10,000円と上がっていきました。
だんだんと高く評価されるようになり、作詞作曲をするコンペの仕事も入ってくるようになります。
この頃は一晩で3曲、年間で500曲を作れるようになっていきます。
年間500曲ということは、一日一曲以上作るということですね。
ひと晩で3曲作り出せるって、すごい。
ご自分でバンド活動をされる一方、作詞コンペでは順調に採用されるようになり、ある時、安室奈美恵さんの曲の歌詞が採用されたのが、「Steal My Night」。
2009年のこの曲をきっかけに、仕事の依頼が増えていきます。
この時25歳だったそうです。
大量に歌詞を作っていたからこそ、入ってきた大きな仕事。
やはり若い頃から強い熱量で、たくさんの仕事をコツコツと続けることが成功に繋がっているのですね。
岡嶋かな多の代表作
その後、スウェーデンに渡って現地の音楽仲間と作曲の仕事をしたり、いろいろな活動をされてたくさんの楽曲を世間に送り出します。
2017年、三浦大知の「EXCITE」の作詞作曲で、レコード大賞・優秀作品賞を受賞されています。
同じ年に、BTSの「Crystal Snow」がこれも作詞・作曲で、世界17カ国で売上ランキング1位に輝きます。
他にも、安室奈美恵のベストアルバム「Finally」の売り上げが、200万枚を超え、
Snowmanの「KISSIN’ MY LIPS」がミリオンセラーを記録。
韓国のガールズグループの「Red Velvet」のアルバムがビルボードチャート世界一に。
ボーイズグループ「SHINee」のメンバー、テミンアルバム「Flame of Love」がオリコン一位になるなど。
ドラマ主題歌や、海外のアーティストにも曲を提供するなど、切間なく音楽を作られています。
コツコツと積み重ねてきた音楽の才能が、一気にあふれ出してとまらない様子!
岡嶋かな多さんの家族
岡嶋かな多さんは、2020年に、息子さんの琉生くんが生まれ、旦那さんと一緒に子育てをしながら曲作りをされています。
子供を産んで2週間でレコーディングに復帰されています。
音楽を作る仕事が大好きなのだそうです!
これからも素敵な音楽を生み出してほしいですね!
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