相田一人(相田みつをの息子)モテモテ父のわがままな人生とは?書家の経歴

椿 激レアさん

相田一人(あいだ かずひと)さんは、相田みつを美術館の館長さん。
2021年9月20日の「激レアさんを連れてきた」に出演なさいます。
「そのイメージとは裏腹に超わがままな父・相田みつを に振り回されて育った息子です」

お父さんである、昭和を代表する書家で詩人の相田みつをさんがどんな方だったのか語られています。
人生に達観した、とても静かな方というイメージでしたが、息子さんからみたお父さんはどんな方だったのでしょう?

スポンサーリンク

モテモテの相田みつを

相田みつを

出典:https://www2.nhk.or.jp/

相田みつを
本名:相田 光男
1924年5月20日から1991年12月17日
雅号:貪不安(ドンフアン)

相田みつをさんの雅号は貪不安(ドンフアン)というのですね!
ドンファン=女たらし・プレイボーイ

相田みつをさんは、とても真っ直ぐな性格で、嫌いな相手とはすぐに喧嘩になってしまうけれど、女性にはすごくモテる人だったようです。

そんな相田みつをさんは、25歳の時に「短歌の会」で、妻となる平賀千江さんと出会います。
当時はお花・お茶・短歌が一流のお嬢様の教養。
地元の材木商の末娘だった千江さんは短歌を習いにきていたのです。
相田みつをの強引なプロポーズで1954年に二人は結婚します。
当然まだ収入もままならない書家との結婚に、千江さんのご家族は大反対されたと言います。

千江さんは、相田みつをさんの情熱と正直な性格に惚れ込んでしまったのでしょう。

勝手にとても清貧な人を想像していましたが、だいぶ違うようですね。
ドンファンとは意外すぎる雅号です!
千江さんのご家族はさぞ不安だったことでしょう。
それにしてもお金持ちのお嬢様を口説き落として結婚とは、少女漫画のような恋愛結婚です。

スポンサーリンク

相田みつをの家族

相田一人

出典:https://www.bayfm.co.jp/flint/20080803.html


栃木県足利市出身の相田一人(あいだ かずひと)さんは、詩人・書家であった相田みつをの長男で、相田みつを美術館の館長さんです。
1955年9月2日生まれ。
美術館で、相田みつをさんの生き方を現した詩を選んでいるのは、息子さんなのですね。
相田一人(あいだ かずひと)さんはお父さんであり、書家である相田みつをさんの生き方を話されています。
相田一人さんには妹さんがいて、ふたり兄妹です。

スポンサーリンク

書以外の仕事はしない父

相田みつをさんは、書家を目指して本格的に書の修行を始めたのは1943年の19歳くらいの頃。
若い頃に、まわりの家族や友人たちに、「自分は筆1本で生きる」と宣言されていたそうです。

筆1本で生きるということは、書を書いて売る以外の仕事は一切しないと言う意味。

当時、住んでいる家は、大家さんの隣の8畳の部屋に一家4人で住む下宿状態でした。
書の売り上げだけでは一家4人は食べていけず、千代さんは、実家に頼んでお金を借りていたそうです。

そんな貧乏状態なのに、住んでいる家の隣に30畳のアトリエを構え、最高級の筆と硯と墨と和紙を使用していたそうです。

すみ

出典:https://www.bayfm.co.jp/flint/20080803.html

いついいものが出来上がるかわからないからと、和紙は常に本番用の高級なものを使っていたそうです。

和紙

出典:https://topics.tbs.co.jp/article/detail/?id=684


なんというか、そのお金で一家が食べていけたでしょうが、書家としてやはりそこは譲れないところなの?
書家という芸術家の立場からしたら、わかるような気がしますが子供たちの食べるお米のことも考えてしまいます。
千代さんのご家族はさぞかし心配されたことでしょうね〜。

スポンサーリンク

奥さんにも労働禁止

相田ひとりさんによると、相田みつをさんは、国語の教員になる資格を持っていたそうです。
「学校に勤めながら作品を書いたらいかがですか?」

と言ってくれる親切な方や、
「書道塾を開いてお弟子さんを取られては?」

何か収入をえながら、作品作りをしてみてはどうかと言ってくれる方がいたそうですが、お父さんは一切受け入れず。
理由は「自分は弱い人間なので、書以外の収入があったら甘えが書に出てしまうというもの。
いい書が書けなくなってしまうからということなのですね。

しかも自分だけでなく、千江さんが働くことも禁止していたのだとか!

子どもたちのごはんは?学費は?
心配はつきません。

ワガママで自分中心な父

相田みつをさんの優先順位は、書が一番で、家族はその次。
若い頃から「一番大事なものに、一番大事な命をかける」という書を書き続けてきたんだそうです。
お父さんは、自分が書に打ち込める環境を第一に作ってきた人。
相田一人さんは、昔からお母さんとそんな話をされてきたのだそうです。

ある意味では見事なくらい、自分中心ですよね(笑)
それは子供心にも分かりまして、我が家は大変なんだろうなぁっていうのはあったんですね。
ただし、父が自分の納得がいく書を書くためには、そういう生活を選択せざるをえないんだろうなぁっていうのがなんとなく分かったんですよね。
出典:https://www.bayfm.co.jp/flint/20080803.html

きっと本当に自分の気持ちに正直な方だったのですね。
相田みつをさんが、亡くなる間際、奥様の千枝さんに残した言葉

来世でも結婚しよう

syo
とても素敵で、奥様は結婚に悔いはないということですから幸せだったのですね。

きっとロマンチストな方だったんだなあと思いますが、お子さんたちにとっては破天荒なお父さんだったのでしょうね。
奥様は、自分で選んだ人ですが、一番大変な思いをしてきたのは子どもたちかも…。

スポンサーリンク

相田一人(相田みつをの息子)モテモテ父のわがままな人生とは?まとめ

相田一人さんは、お父さんのことを、家族がいても自分本位にやりたいことをできる最後の世代だったとおしゃっています。
書家として収入がないうちから、お金持ちのお嬢さんを口説き落としてしまうモテ男っぷりは驚きでした!
奥様は苦労しながらも幸せな結婚生活だったようですが、お子さんたちは大変だったことでしょうね。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
激レアさん
マリ子をフォローする
マリ子の部屋へ

コメント

タイトルとURLをコピーしました