草彅剛(くさなぎつよし)さん(46)が徳川慶喜(とくがわよしのぶ)を演じられて、絶賛されていますね!
今まで徳川慶喜といえば、徳川幕府を終わらせた江戸時代最後の将軍と歴史で習ったくらいで、江戸城を受け渡したのち、どんな人生を送った方なのか全然知りませんでした。
こんなにも気になるのは、やはり草なぎ剛さんの演技力のなせる技?
江戸時代最後の将軍・徳川慶喜がどんな半生を送られたのか見てみたいと思います。
<#青天を衝け 登場人物紹介>
徳川斉昭の七男に生まれ、一橋家を継ぎ、徳川幕府最後の将軍へ。側近・平岡円四郎の目利きで渋沢栄一と出会い、財政改革に手腕を発揮した栄一を重用する。幕府終えんの時を迎えてからも、慶喜と栄一の厚い信頼関係は終生に及んだ。 pic.twitter.com/7ez6owqg2F
— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) December 21, 2020
草彅剛の将軍・徳川慶喜
それにしても草彅剛さんが回を増すごとに素晴らしいですね。
今までお芝居がすごく上手いなーと思うことは多々ありましたが、こんなにカッコイイと感じたのは初めて!
セリフがなくてもこの存在感と気品と説得力。。
これは演技なのでしょうか?
アカデミー賞受賞も納得です。
草彅剛さん、日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞おめでとうございます🎉#草彅剛#青天を衝け#スタッフ一同より pic.twitter.com/XTeRU2CFjO
— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) March 19, 2021
草彅剛さんプライベートでもご結婚もされ、愛犬も可愛く元気で、公私ともにノリに乗っている40代後半!
これから役者さんとしてどんどん大きくなっていくのですね。
この人がテレビに出ていなかったなんて嘘みたいです。
もはや慶喜公は草薙さんと思っているのですが、実際には徳川慶喜という人はどんな方だったのでしょう?
歴史では優秀で能力は高いけれど、最後は半幕府勢力に負けて逃げてしまったなどとも言われています。
カリスマ的英雄の徳川慶喜
15代将軍 徳川慶喜
生没年:1837年(天保8年)9月29日〜1913年(大正2年)11月22日 77歳
将軍在位期:1866年(慶応2年)~1867年(慶応3年)/1年
父:徳川斉昭(水戸9代藩主)
母:登美宮吉子(とみのみやよしこ)
徳川御三家の一つ、水戸徳川家の出身。
お母様が皇族の出なので、慶喜自身も天皇の親戚となるのですね。
徳川慶朝と徳川慶喜
1998年に徳川慶喜が大河ドラマになった時、スタジオにお邪魔して時の一枚
衣装はナポレオン3世から贈られた軍服姿の徳川慶喜(2枚目)を忠実に再現。
叔父はひいお爺様に会えて、とても嬉しかったそうです。#大河ドラマ#徳川慶喜 pic.twitter.com/0627pmhF2N— 山岸美喜 (@yamagishimadam) April 2, 2021
将軍在位期間は一年ですが、大政奉還を行い、江戸幕府を終わらせた徳川慶喜という人は恐ろしく頭が切れ、状況を見通し的確に判断できる人物だったようです。
幕府が滅びるという局面にも、孝明天皇の信頼を得ていた慶喜は、直接諸外国と立ち回り、外交手腕を高く評価されていました。
また、外交のために自分の肖像写真をとらせ、プリントしたものをナポレオン3世やヴィクトリア女王など外国の君主に渡すなど、当時の外交儀礼に適応する柔軟性も持っていたのですね。
当時のイギリスの公使の会見記事には慶喜を日本の「大君」と記しているものが残っています!
出典:松戸市戸定歴史館蔵
そして「青天を衝け」の制作統括を務める菓子浩さんの、慶喜という人物に草薙さんを選んだコメントがしびれます。
どなたに演じていただこうか考えていたときにまずほしいと思ったのは、カリスマ性。そんなに語らなくても、何を考えているか見えなくても、その人物の物語が引っ張れるのは、その人物自体にカリスマ性がないと難しい。草なぎさんに演じていただきたいと思ってオファーしました。
複雑な心の機微をとてもうまく演じていただいていて、立ち姿、弓を射るシーンもありますが、一つ一つの動きが美しいですし、今は慶喜は草なぎさんしか考えられないなというくらいにハマっていると思っています」と草なぎの演技を絶賛した。
出典:https://news.mynavi.jp/article/20210127-1675110/
さすがです。すべて読み通り?読み以上?
本当にこんなにも美しく感じるってどういうことなんでしょうか?
草なぎさんは本当に現世を生きている俳優さん?
徳川慶喜の後半生
日本を海外列強と肩を並べる国に生まれ変わらせるために大政奉還を行い、尽力を尽くした慶喜ですが、政治の表舞台に帰ることはありませんでした。
超有能で政治力も野心もあったからこそでしょうか。
なんの罪もない江戸の庶民に苦痛を与えることだけはやめてほしい、罪は自分にあると言って謹慎の身に。
そのおかげで日本全土が内乱に巻き込まれることは免れたのですね。
32歳で隠居、趣味の生活に
30代で政治の舞台から身を引いた慶喜は、その後は隠居生活に入ります。
徳川宗家からの仕送りで幕臣の生活苦、困窮とは無縁、趣味の生活に明け暮れます。
その後半生においては、銃猟、投網、謡いや能、小鼓、油絵、囲碁、将棋、ビリヤード、刺繍など趣味に生きた半生だったそうです。
どれもプロ並みだったという腕前。
とりわけ写真は本格的で、本職の写真師の指導を受け、近隣の風景はもちろん、家族や女中たちを被写体にしていたそうから、よほど好きだったのでしょうか。
こんなにも能力がある人が、まだ30代の若いうちから、徳川将軍歴代最長齢となる76歳までの40年間をひたすら趣味に生きるのはなんだか苦しそうな気もします。
政治との関わりを一切絶ち、旧家臣とも会わなかったといいます。
政治の争いごとに巻き込まれないよう、世情を混乱させないよう、周りに沈黙をアピールしていたのでしょうか。
晩年、明治政府から功績が認められた時の心境はどうだったのか?
想像もつきません。
慶喜公伝記の出版
渋沢栄一さんは徳川慶喜公伝という伝記を出版してくださいました。大いなる尊敬がないと出来る事ではありません。
徳川慶喜は本当に我慢の人生でした。鳥羽伏見の戦いの臆病者
と言われ続け、ずっと黙って受け止めていました。人民の命は己の立場より貴重である。#徳川慶喜#渋沢栄一#晴天を衝け— 山岸美喜 (@yamagishimadam) March 27, 2021
徳川慶喜の晩年、渋沢栄一が主宰で昔夢会(せきむかい)という会が開かれます。
慶喜の伝記を作る為にこの会が開かれました。
編集者の渋沢栄一と文学博士、法学博士の方たちが、慶喜から直接話を聞きとったり、史料を集めて原稿をまとめるなどされています。
その時の慶喜はそれらにていねいに目を通し、熱心に取り組まれ仕事はとても速かったそう。
徳川慶喜はこの事業に約6年たずさわり、その後76歳で亡くなります。
昔夢会は、明治44年7月から大正2年9月までに26回行われ、本が刊行されています。
慶喜から聞き取った会話形式だそうなので、新しい面から色々わかることがありそうです。
政治的に誤解を受けている慶喜ですが、本人の言葉で聞いてみたいものです。
でも漢詩などが入ってるので理解するのはとても難しそうですね。
徳川慶喜も子沢山
後半40年を隠居して趣味に生きたとされる慶喜ですが、2人の側室がいるのですね!
中根幸(こう)と新村信(のぶ)の二人の側室の2人はとても仲が良く、産まれた子どもは10男・11女。
みんなで同じ家に住み、子供たちもどちらが自分の母親とは特に意識することなく、仲良く暮らしていたということです!
驚きますが、ちょっとホッとする話です。
腹違いの子供と母親がみんな一緒に仲良く生活するって、ファンタジーのようですが、昔はそういうことが普通にあったのかもしれませんね〜。
徳川慶喜と草彅剛さん
この美しい徳川慶喜の演出に、衣装がほんと綺麗だな〜と思っていたら、ご本人の好きな色なのですね。
柔らかいベージュの色から立ち上る高貴な気配。
衣装のスケッチからもご本人のイメージがくっきりと出てくるよう。
それにしてもこんなにも和装・ちょんまげが似合うとは。
ずっとこの姿でいて欲しいほど。
RT
「慶喜の衣装はご本人の好きな色」前も見かけたけど、一人だけ特別扱い感w#青天を衝け #草彅剛 #徳川慶喜 pic.twitter.com/PVLoymy00l
— (@medakatan_desu) March 28, 2021
穏やかなたたずまいでも、歴史を変える決断を下す最後の将軍と、草彅さんの存在感やひそやかな闘志が重なります。それにしてもこれからどんどん佳境に入っていく徳川慶喜の数奇な人生!
まだ20代前半くらい?
大河ドラマをこんなに真剣に見るのは初めて。
楽しみに応援します!
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