東京五輪の自転車競技、自転車トラック「女子オムニアム」で銀メダルを獲得した梶原悠未(かじはら ゆうみ)選手。
梶原悠未選手は、お母さんと二人三脚で練習を積んできました。
お母さんの力添えが素晴らしいと絶賛されていますね。
梶原 悠未さんの経歴と合わせてご家族についても見ていきましょう!
梶原 悠未の経歴プロフィール
出身:埼玉県和光市
生年月日:1997年4月10日
身長:155cm
体重:56kg
所属:筑波大学
2020年4月に筑波大大学院人間総合科学学術院に進学
水泳選手だった梶原 悠未
梶原 悠未(かじはら ゆうみ)さんは、1歳から水泳を始め、中学生までは競泳をされていました。
小学4年生からは全国大会に毎年出場されて、中学3年では関東大会で2位という成績を収めるほどの実力!
運動神経が良かったのですね。
北京五輪競泳男子で、北島康介選手の金メダルをとった姿を見て、五輪に出たいと思うようになったそうです。
ですが中学3年の時の全国中学校選手権関東大会2位で全国大会に行けなかったことで、別のスポーツで五輪を目指すようになります。
その時に悔しさで泣き続ける梶原さんに、お母さんが「神様が何か大切なことを伝えようとしているのでは?」と言ってくれた言葉がきっかけだったようです。
水泳から自転車に転向
そして梶原さんは、高校では、競泳部のない筑波大学付属坂戸高等学校に進学されます。
自転車に転向し、一年生の時に、競技を始めてわずか2ヶ月でトラック種目でインターハイ(全国高校総体)に出場します!
2014年3月の全国高校選抜大会では出場した3種目全てで優勝。
5月にはアジアジュニア選手権のロードレースで銀メダルを獲得と、才能が開花します。
短期間でここまでの結果を出すとは、やはり水泳で鍛え上げられた体と、何よりも自転車に向いていたのでしょう。
それでもすごい記録です!
大学は筑波大の体育専門学群に進み、サイクリング部に所属。
大学進学を前に悠未さんは、自転車の強豪校に勧誘されまたしが、自分に合う環境が見つからなかったため、競泳で推薦試験を受け、自転車の指導者がいない筑波大体育専門学群に進んでいます。
自分の合う競技環境を作っていこうと思われたのですね。
お母さんがコーチ
梶原さんはお母さんの有里さんと二人三脚で競技をされてきたことが知られています。
大学では競輪のコーチはなく、練習、マネジメント、食事、体やメンタルのケアなど、全てをお母さんの有里さんが支えてくれたのだそう。
筑波大3年の夏には、東京五輪の本番会場がある静岡・伊豆の国市にお母さんと2人で1LDKのアパートに移住されています。
梶原さんの練習時にはバイクで並走してくれて、梶原さんの闘争心を煽り、ライバルにもなるのだそう。
一緒に練習をしているのに食事の支度や、練習場との送迎から、練習のメニューを組んだり、筋トレのフォームチェックもしてくれる。
お母さんは娘さんが可愛くて仕方ないのですね。
お母さんのためにパリでは金メダルを取りたい!と思うのも納得です。
お父さんは社長
埼玉県和光市にある、「K.INNOVATION株式会社」の社長が、梶原さんのお父さん梶原典人(かじはらのりひと)さん。
外壁工事や塗装を専門にする会社をされているようです。
お父さんのプロフィールのところに、
「ロープブランコでの高所作業、雨漏り工事等を得意とする」
とありますので、腕の立つ職人さんが独立されたようです。
技術的な資格もたくさん持っています。
きっと一生懸命働いて、娘さんや競技を支えてきたのでしょう。
弟さんも1人いらっしゃいます。
仲が良さそうなのが伝わってきますね!
競輪選手梶原悠未の家族と経歴 まとめ
梶原悠未選手の強さは、お母さんをはじめ、ご家族に支えられているからこそなのですね。
オリンピックのメダリストになって、お母さんに伝えた感謝の言葉が印象的でした。
「私の母は神様」とまでいう梶原選手の、お母さんにパリで金メダルをかけてあげたいという目標が素敵です!
これからも応援したいと思います。
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