本場顔負けのフランス菓子を堪能できる人気の行列店、自由が丘の名店「パティスリー パリセヴェイユ」のオーナーシェフの金子美明(かねこよしあき)氏が情熱大陸に!!
金子義昭氏とはどんな方でしょう?
4月18日「情熱大陸」
菓子職人/金子美明
少し上質な、日常に溶け込む“菓子”を…
職人魂の詰まった春の新作を召し上がれ。#情熱大陸 #mbs #tbs #菓子職人 #金子美明 pic.twitter.com/QawYb3rFiR— 情熱大陸 (@jounetsu) April 11, 2021
パリセヴェイユっていつも行列してる宝石みたいなケーキが並ぶ有名店ですよね。
こんなお店のお菓子を作るシェフの経歴が気になって調べてみました。
パティシエールの奥様とフランスに修行に行かれていると。一体いつからお菓子づくりを?
金子美明(よしあき)さん経歴
1964年 千葉県県生まれ。
1980年 中学卒業後、16歳で池袋西武「ルノートル」に入社
1994年 千葉県「レストランパッション」のシェフパティシエになる。
1997年 代官山「パティスリー・ル・プティブドン」のシェフパティシエになる。
1999年 渡仏・「ラ・デュレ」「ル・ダニエル」「アルノー・ラエル」「アランデュカス」などの名店で修行する。
2003年 「パティスリー パリセヴェイユ」をオープン。
中学校を卒業して、もうお菓子づくりの道に入られているのですね!
16歳で職人の道へ
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金子さんは子どもの頃から料理の専門書の写真を見るのが好きで、14歳くらいの時に山本益博さんの『パリのお菓子屋さん』という本に出会い、当時の洋菓子店とは全然違った、金子さんが理想とする夢のようなお菓子が描かれていて衝撃を受けます。
山本益博さんといえば、日本の料理評論家の第一人者。
『パリのお菓子屋さん』は1980年ごろに出版されたものですね。
それはきっと素敵な写真が載っていたのでしょうね。
当時の日本の洋菓子店はまだバターケーキとか、クリームもかなり甘いものだったのでは?
思いつくのは不二家くらい?そんな時代に食通の山本益博さんのお菓子の専門書をみたら、それは衝撃を受けますよね!
池袋のデパ地下での出会い
そして中学3年で進路を選ぶ時、山本さんの本に載っていたような洋菓子屋さんを探して池袋のデパ地下へ。
そこで1979年に日本に初上陸したパリ最高峰のフランス菓子のお店、「ルノートル」を見つます。
「ルノートル」は商品の内容も他の店とは全然違い、「あ、あの本にあったお店だ!」と感動は大きかったようです。
サバランや、ムラング・シャンティーを買って食べたら、当時10代だった金子さんはきついお酒や甘みの強い本格的な味に驚きますが、「あ、本場のおいしさってこういう風なんだ」と納得し、中学を卒業してから、「ルノートル」に入社し、修行の道に入られます。
まだ外国製品が珍しかった時代ではないでしょうか。
しかも今から40年ほども前です。
現実に本の中で見ていたのと同じお店があったら感動しますね〜。
1970年代は、ヨーロッパの菓子の名店がデパ地下に進出し出した年代なのですね!
現代フランス菓子の基礎を築いたと言われるフランス菓子界の至宝ガストン・ルノートル氏が創業したパリ最高峰のメゾンのひとつ「LENÔTREルノートル」。
世界的に有名なパティシエ、ピエール・エルメ氏など、優秀な人材がたくさん生みだされています。
1979年に池袋に初上陸して、2009年に1度撤退。
2019年3月27日に東京・銀座三越店の地下2階に再オープン。
銀座三越店では生菓子類を中心に焼き菓子やチョコレートを扱っています。
出典:https://dessanew.jp/lenotre-mitsukoshi-16459
そんな本格的なお店に16歳で就職するなんて、すごい度胸です。
それだけ本格的なお菓子の魅力に惹かれたんでしょうね。
10代の頃に感じた味の感覚はその後の経験で感じたものとは全然違うとおっしゃいます。
そうするとその時代のデパ地下にフランスの一流店を入れていた、デパートの力にもすごい影響力がありますね。
金子さんは中学卒業後に東京の「ルノートル」で修業をスタートされます。
キャリアチェンジとフランスでの修行
その後名古屋の「パティスリー・ボン・デザール」などで働き、一旦菓子職人としてのキャリアをストップします。
金子さんはデザイナーを志して松永真デザイン事務所に入ります。
そこで7年にわたりグラフィックデザインの仕事をされます。
若くしてお菓子の職人の世界に入って、迷いのある時代だったのでしょうか?
それでも有名なデザイン事務所で、7年もの間、デザイナーとしてキャリアを築いています。
それも相当すごいことですね。
そしてきっとその期間に、お菓子への気持ちを改めて強くされたのではないでしょうか。
30歳の時にお菓子の世界に戻る
そして7年の時を経て、1994年30歳の時にもう一度お菓子づくりの世界へ戻られます。
東京・代官山「ル・プティブドン」でシェフ・パティシエを務めた後、1999年に同業者の奥様とともに渡仏し、約3年半滞在されます。
パリを起点に、クリスマスの季節に美しいアルザスに行ったり、ノルマンディやレンヌなど他の都市の店にも修行に行かれます。
金子さんが一番気に入ったのはブルターニュで、島国の日本人と気質が似ていて、初めはとっつきにくいけれど一度打ちとけるとすごく親切でやさしい人達が多いのだそうです。
サバランやフラン、パン・オ・ショコラなど単純なお菓子の1つ1つが本当においしい。
目新しいデザインや組合せに思えても、実際は驚くほどシンプルなレシピと組合せということが多いんです。
ヨーロッパ文化に根ざすフランス菓子のあり方、ベーシックな美味しさの重要性を再認識するという点でも、渡仏したことはこの仕事に必要不可欠と言える本当に良い経験になりました。
出典:https://www.panaderia.co.jp/
すごい密度で研鑽を積まれていたのが伝わってきますね。
修行されたのは素人でも聞いたことがある有名店ばかり。
その国に行かなければわからないことがたくさんあるでしょうね。
その後、残念ながら経済的な事情でそれ以上はフランスにとどまれず、帰国されることになります。
そして奥様も同業者でフランスにご一緒に行かれているのですね!
現在もパリセヴェイユの厨房でパティシエールをされているそうです。
すごいご夫婦ですね。
こんなにすごいたくさんのお店でキャリアを積み重ねていたら、日本で他の店で雇われてパティシエとして働くなんて無理な話と感じます。
日本でお店をオープンするためにプレゼン
フランスにいるときに、帰国してから日本でどうするかを考え、せっかくなら自分のお店をやりたいと思った金子さんは日本でスポンサーになってくれる企業を探そうと思い立ちます。
はじめに「会社四季報」を日本から取り寄せ、ここ数年の業績が良く、成長している企業を5社ほどピックアップ。
今まで撮りためてきたケーキの写真を大きくプリントし、説明もつけて企画書を送ります。
企業に直接電話をしてプレゼンをすると、そのうちの1社はわざわざ社長がフランスまで来てくれたそうです。
スポンサーを見つけることができた金子さんは、2003年の初頭に帰国して、すぐに開店に向けて活動をされます。
物件を見つけて、必要な予算を組み5年間の業務計画をたてて、スポンサー企業に企画書を提出してプレゼンまでされます。
これは、デザイナーとしてのキャリアがそのまま生かされたんではないでしょうか!
そして2003年6月「パリ・セヴェイユ」をオープン。
すごい行動力ですね!
職人さんとは、営業活動まではやらないものかと思っていました。
本当に自分のやりたいことをやろうと思ったら、直接行動したほうがいいと金子さんはおっしゃっています!
強くやりたいと思ったら、行動に移せるものかもしれません。
お店の内装やデザインも
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「パリセヴェイユ」は場所や、内装から、店名も全部金子さんが自分で考えたそうです。
ショップのパッケージやインテリアにもデザイナー時代の経験が生かされていますね。
特に気に入っているのが、フランスのパティスリーのように商品を並べて見せたくてつけた、道に面した大きなガラス窓だそうです。
確かに、通りに面した店舗は本当にパリのような雰囲気を醸し出していますね。
日本人の好みに合わせたフランス菓子のようなお菓子ではなく、フランスのお菓子そのものを出したいとおっしゃる金子さん。
やはり建物も本場のパリの空気感を出していますね。
お店の周りがパリ。
フランス人も絶賛!パリセヴェイユの由来
店名の「Pari Se’veille」パリセヴェイユとは、「パリの目覚め」という意味で、自身の才能をパリで目覚めさせた金子さんがつけられました。
この名前は、大ヒットしたシャンソンの曲名でもあり、映画にもなっていて、フランスでは有名なフレーズだったのでフランス人なら誰もが知っている言葉で、フランスの方に必ず褒められるんですって。
この店名をつけたときは、そんなことは知らなくてなんとなくひらめいた言葉だったけれど、やはり褒められると嬉しいようです。
たまにその曲をお店でもかけてそうですよ。
動画で習える!金子さんのお菓子づくり
なんと、金子美明さんのお菓子づくりの動画が、youtubeで見られます。
こんなに著名で一流の、すごい経験を積まれたその内容を惜しげもなく。
お話される内容はプロの言葉。
すごい。
バターと卵の温度調節をしっかりしていないと分離につながります。
油の中に水を入れて乳化させることで良い乳化が得られ、焼き上がりも変わってきます。
などなど…まるで修行を積まれた徳の高い修験者様の言葉のようです。
長くひとつの仕事を積まれているお菓子の神のように感じますが、これを聴けるなんてパティシエを目指している人にはすごく嬉しいことではないでしょうか。
フランスでも絶賛されるお菓子
菓子職人・金子美明(よしあき)さんは、15歳という若さで、パリの本物のお菓子に触れて、修行を重ねているすごい方でした。
あくまでも僕たちがきちんと提案しないと、お客さんも迷うと思うので。
ですから10人が10人、来てくれる必要はないんです。
出典:http://www.sweets-daisuki.com/feature_interview/2007_seveile.html
金子さんのお店はフランスにも2号店がありますが、現地でもとても人気で行列ができるそうです。
日本人の口に合わせるということをせず、ご自分の経験から信じる味を提供しているからですね。
その人の作ったお菓子が東京で買える!
なんて幸せなことでしょうか。
しかも何十年も培った技をYouTubeで教えてくれるなんて本当に驚きです。
このありがたさを噛みしめるために、パリセヴェイユに行ってこようと思います!
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