マイケル・ジャクソンが亡くなってもう12年なのですね。
5月31日の激レアさんを連れてきたに故マイケル・ジャクソンの専属シェフだった高谷敏雄さんが登場されます!
マイケルが気に入られた
思い出のあれこれを聞けそうです。
高谷敏雄とマイケル・ジャクソン来日公演
マイケル・ジャクソン専属の高谷敏雄シェフ
高谷敏雄さんは、1949年生まれで、現在72歳です。
現在では子供達に給食を作るお仕事をされながら、講演会やチャリティイベントのトークショーなどをされています。
高谷敏雄さんがマイケルの専属シェフになったのは、1987年の「BAD」ツアー日本公演の時。
87年の大阪公演から専属シェフを務められました。
来日した際に雇われていたアメリカ人専属シェフが、マイケルに風邪を移してしまい解雇され、代わりのシェフを探していた時に面談を受けるように言われたのだそう。
そんな大役嫌だなあ、と思っていた高谷さんはすぐに帰るつもりで、
「水戸黄門なら知ってるけど、マイケル・ジャクソンのことは良く知らない」と答えます。
なぜかファンでないところが気に入られ、すぐにコックとして働くよう依頼されてしまいます。
マイケルはベジタリアン
マイケルはベジタリアンで知られていますが、それだけでなく、とても食が細かったそう。
ツアー中は、ドクターからも健康が心配されていたといいます。
スリラーの頃は体重が45kgくらいだったそうですね。
高谷さんは肉は使わずに、野菜だけで作ってほしいとだけ言われます。
マイケルはたくさんの種類のビタミン剤と、豆類を大量に持ち込んでいて、食べることには興味がなく、栄養素が取れればいいと考えていたようです。
マイケルジャクソン、背がとても高かったイメージですが、それはとても痩せていたからなのかも。
ベジタリアンなのは知っていましたが、そんなに食が細くてあんなに動けたのが不思議です。
驚異の野菜メニューと信頼関係
高谷さんは食べてもらうのに、さまざまな工夫をこらしたそうです。
栄養バランスを考え、マイケルの好みを探りながら、毎日何十種類も、あらゆる野菜料理を300種類以上作り続けます。
そして豆腐が好みだということを知り、その日から豆腐料理に試行錯誤を重ねます。
その繰り返しの中で、マイケルが豆腐ハンバーグだけは、毎日食べてくれたそうです。
豆腐は大豆の味がよくわかるよう良質のものを選んでいたそうですから、本当に美味しかったのでしょうね。
ベジタリアンなので、食材集めがたいへんで、東京では専門のお店で食材を調達していたそうです。
今でこそベジタリアンも一般的ですが、30年以上前の日本で、何種類もの野菜料理を作り出した高谷敏雄さん。
一流のシェフなのですね。
水(エビアン)や水分補給のスペシャルドリンクなど、マイケルの口に入るものは、全てシェフから直接手渡しすることになっていたと言います。
信頼できる人でなければ、許されないことですね。
マイケルは否定的なことを言わず、威圧的な態度をとることもなく穏やかな人だったそうです。
その代わり、突然バッサリ解雇する、というスタンスだったよう。
その後、ヨーロッパツアーに同行してくれないかと打診されますが、突然の解雇や食材集めの不安などからお断りしたそうです。
きっと高谷さんはすごく信頼されていたのでしょう。
やはり信頼できるシェフでなければ、近くにおけませんよね。
マイケルお忍びレストランと高谷敏雄さん
1987年にマイケルがお忍びで訪れたレストランがあります。
葉山ホテル「音羽ノ森」さん
高谷敏雄さんは、こちらの系列店のシェフだったのですね。
レストラン潮騒
住 所:
神奈川県横須賀市秋谷5596-1
TEL:046-857-0108
ドレスコード:クロックスを含むビーチサンダル不可
当時ベジタリアンだったマイケルの為に、ベジタブルフレンチをフルコースで提供したそう。
とても美しいメニューだったようです。
今でこそ、ベジタリアンのメニューも、一般にも広がっていますが、当時は本当に珍しかったのでは。
以前は、この時の料理は「マイケル・ジャクソン追悼メニュー」として、予約すると現代風にアレンジした料理が食べられました。
レストランには、その時のマイケルの写真やサインなどが飾られています。
一度行ってみたいですね。
高谷敏雄さんとマイケル
高谷敏雄さんは、子供達の夢を応援できることをやりたいと、マイケルが訪れた児童養護施設のホールの建て替え資金チャリティ・プロジェクトに参加されています。
他にもシェフとして、講演会でお話をしたり、マイケルのために作った料理を再現するなどのイベントに協力されています。
これからもお元気で、この貴重な経験とお料理の愛を伝えて行ってほしいですね!
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