中村莟玉(なかむらかんぎょく)さんが、10月14日のマツコ会議に出演されます。
梅丸(うめまる)から、莟玉の名前を襲名され、すっかり大人の歌舞伎役者に!
お顔立ちが、美しくて可愛らしいです。
なんでも一般家庭から、歌舞伎界の養子になった方だそうですね。
まるちゃんの愛称で親しまれる中村莟玉さんは、どんな方なのでしょうか。
歌舞伎俳優を志した子供から学生時代を見ていきましょう。
中村莟玉(かんぎょく)の経歴
2019年に「まるちゃん」「まるる」の愛称で親しまれた梅丸から、中村莟玉(かんぎょく)に。
生年月日:1996年9月12日
本名:森正琢磨
中村梅玉(ばいぎょく)の部屋子から養子に
屋号:高砂屋
定紋:祇園銀杏
歌舞伎の世界では、実力が第一。
ですが現実的には部屋子のままか、
養子になるかで扱いは違うようです。
莟玉さんがこれまでの部屋子から、
養子になったことで、歌舞伎界の御曹司の方たちと同じ位置づけになります。
師匠の中村梅玉さんも、出発は養子からだったそうです。
部屋湖から養子になったのは、片岡愛之助さん以来。
莟玉さんも後に続いて、素晴らしい歌舞伎役者になることは間違いないですね!
・2005年1月
初舞台は、国立劇場「御ひいき勧進帳」で
富樫(とがし)の太刀持ちの小姓役。
15分間セリフなくじっとしている役ですが、
舞台に立てるのが嬉しくてたまらなかったそうです。
本名の森正琢磨で出演されました。
・2006年4月
10歳になる年の春
6代目中村歌右衛門5年祭で
中村梅丸(うめまる)の名前をもらい、
四代目中村梅玉の部屋子披露をされています。
歌舞伎座「沓手鳥孤城落月」(ほととぎすこじょうのらくげつ)で小姓・神矢新吾、
「関八州繋馬」(かんはっしゅうつなぎうま)の里の子竹吉
・2019年11月
歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」で
初代中村莟玉(かんぎょく)を襲名。
同時に梅玉に養子入りすることが発表されました。
女方も若武者役も演じられる莟玉さん。
2018年8月、新橋演舞場の新作歌舞伎「NARUTO ナルト」の春野サクラ役では大活躍されました。
女の子にしか見えない!
と評判でしたが、ご本人は「かわいい」と言われる事に抵抗があるそうです。
梅丸さん時代から踊りも上手いと評判で、
中学生の時にはスポーツ刈りの
梅丸さんが、紋付袴にねんねこを着て
踊っていた舞台も。
中村莟玉(かんぎょく)の子供時代
中村莟玉(かんぎょく)さんのご両親は、本や雑誌の編集者です。
糸井重里さんの本の出版などにも関わっているそうですので、一流の出版社にお勤めなのですね。
お母さんが歌舞伎好きで、子供の頃から歌舞伎座通い。
初めて歌舞伎座に行ったのは2歳の時ですって。
3階席でお母さんの膝の上から舞台をみていました。
「今日は歌舞伎座に連れて行ってあげる」と言われて駅から歌舞伎座の劇場がだんだんと見えてくる光景は、思い出すと絵のようにときめくものでした。
歌舞伎座を見終わってから、大好きなお蕎麦を食べながら、歌舞伎の話をするのが楽しみだったという子供!
毎月お母さんのところに届く、松竹歌舞伎会の会報誌「ほうおう」を楽しみに待っていたそうです。
特に好きだったのは、十一世市川團十郎さんの「切られ与三郎」の白黒の古い映像だったというから本当にマニアック!
なんども真似しているうちに、
「歌舞伎をやりたい」と親にもいうようになります。
なんだか、子供の頃の中村莟玉さんのワクワクする気持ちが伝わってくるようです。
幼少期に見た生のお芝居、歌舞伎の本物のきらびやかな役者さん達に憧れる気持ち。
全てが歌舞伎役者になる道に繋がっているようです。
中村莟玉(かんぎょく)は一般家家庭から養子に
小学校1年生の5月、お母さんのお仕事の関係で誘われ、新橋の芸者さんたちの踊りの会、「東をどり」を見に新橋演舞場にいきます。
休憩中に演舞場のロビーで、お土産の手ぬぐいでほっかむりをして、大好きな与三郎のマネをしていると、手ぬぐいの結び方を直してくれた方が声をかけてくれます。
そのかたが踊りの師匠、花柳福邑さんでした。
「踊りのお稽古に来てみない?」
と誘われ、日本舞踊のお稽古を始めてから9ヶ月後には、歌舞伎の中村梅玉さんに会うことになります。
歌舞伎好きの少年の、運命が変わる急展開ですね。
中村莟玉(かんぎょく)7歳で弟子入り
7歳のときに、中村梅玉さんの元で見習いとして、学校のない毎週土日は歌舞伎を学びに楽屋に出入りできることになります。
お弟子さんになったばかりの頃は、大好きな歌舞伎役者を間近で見れることに大興奮。
本物の役者さんが通るたびに、呼び捨てで
「あっ仁左衛門だ!」
と叫んで、兄弟子から「さん」をつけなさい!と怒られていたそうです。
三味線やお囃子の稽古、黒子の衣装をつけて舞台に上がったり。
歌舞伎の世界に馴染んでいき、10歳の時に部屋子になり、中村梅丸を名乗ることになります。
小中高では学業と両立させながら、芸を磨いてゆきます。
中村莟玉(かんぎょく)の高校時代
高校生の時には、学校に通いながら
舞台にも上がっていました。
高校三年生の時のインタビューでは
学校で好きな教科は、国語と歴史。
数学は苦手と答えられています。
歌舞伎以外で好きな舞台は、
お姉さんが好きだった宝塚だそうです。
中村梅玉師匠の舞台にはもちろんですが、
市川海老蔵座頭の2013年新春浅草歌舞伎
片岡愛之助座頭の2013年2月大阪松竹座
など、師匠以外の舞台にも出られています。
踊る姿勢が素晴らしく、女方も若武者役も美しいと言われていました。
この頃になると、学校の友達から
「将来は歌舞伎、続けるの?」と
聞かれるようになります。
一般の家庭の出身なので子供の頃の夢
ウルトラマンと同じくらい歌舞伎役者には
なれないと言われていたようです。
確かに、一般的に歌舞伎役者は世襲制だと
思っているので、養子に入るという道があるとはなかなか思いつかないですね。
歌舞伎界では、同世代の坊っちゃん方と仲よくさせていただき、新年会や誕生日会にも呼んでいただいて、情報交換や芝居の話に花を咲かせています
高校3年生の時のインタビュー出典:https://www.kabuki-bito.jp/
部屋子というと、とても厳しい世界で身分が別れていそうですが、中村さんの場合は周りの御曹司達とも和やかな関係を築けていたようです。
やはり、実力ある人には分け隔てなく接しますよね。
中村莟玉(かんぎょく)の大学時代
中村莟玉さんは大学に進学されています。
役者の修行だけでも忙しいような気がしますが、中村梅玉師匠の言葉、
「行けるなら行ってごらん」
というひと言もあって受験をされます。
1月は歌舞伎座と浅草公会堂の
掛け持ちの舞台の月。
そんな忙しい中、受験の月だけ舞台を
休んで大学受験に臨まれ、見事合格されます。
2016年・2017年の、古典芸能プロジェクト・若手舞踊公演SUGATA。
第二弾と第三弾「新説・西遊記」での孫悟空役は21歳くらいの時です。
舞台をやりながら大学受験!
お稽古やプレッシャーを考えると、信じられませんがすごいですね。
よっぽど地頭がいいのでしょうか。
また、入学しばかりの4月には
名古屋での舞台が決まっていました。
入学そうそう大学の授業は
いきなり1ヵ月休むという学生生活。
大学に入ったら、現在の古典歌舞伎が
新作として生まれた頃のことを勉強したいと、「近世文学」を専攻したいと思っていたそうです。
歌舞伎役者としても、学生としても深い考えを持っているのですね。
それにしても師匠の言葉の暖かいこと。
莟玉さんの将来を見通してのお言葉に違いありません。
初代中村莟玉(かんぎょく)襲名
2019年11月にそれまでの「梅丸」から、初代「中村莟玉」を名乗ることに。
「まるちゃん」「まるる」の名前で、愛情と親しみを持って呼ばれていた「梅丸」の名前とは、別れがたい思いがあったようです。
それでも一人前の歌舞伎役者としてひとり立ちする中村莟玉さんの活躍に、舞台では
「莟玉!」
「高砂屋!」
の声が掛かり、期待の声は鳴り止まないようです!
今年の11月の歌舞伎座で、師匠・中村梅玉の養子として、中村莟玉(かんぎょく)を名乗り、披露させていただきます。
お役は「菊畑」の虎蔵を勤めさせていただきます。師匠から演目とお役を伺った時、本当に時が止まったというか、何をおっしゃっているんだろうと、ポカンとしてしまいました。どれだけのご縁と運に恵まれてきたか、自分のことながら途方もなく感じます。
歌舞伎役者になることは簡単じゃないんだよ、ましていつも真似してるようなお役をやれるのは本当に一握りの役者さんたちだけで、そのお家に生まれないと無理なんだよ。
子どもの僕に大人たちは、優しさから本当のことを伝えようとしてくれていました。
歌舞伎に携われればそれでいいと言いながら、それでも、役者になれると信じてよかった。どれだけ説明しても、信じて疑わない僕の気持ちを尊重してくれた家族に、心から感謝しています。
インスタグラムより抜粋
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